8月31日午後、経済産業省は茨城県常陸大宮市に、高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の最終処分場選定に向けた「文献調査」を正式に申し入れた。
常陸大宮市が受け入れれば、文献調査に進む自治体は全国で5例目となる。
文献調査は、最終処分場の受け入れを決める手続きではない。既存の地質資料などを約2年間調べ、その地域が次の調査に進めるかを確認する、長い選定プロセスの最初の一歩である。
それでも、この申し入れは日本の原子力政策が長年抱えてきた問題を改めて突きつける。
原発で電気をつくった後、そのごみを最後にどこへ置くのか。
日本は2002年から最終処分地を探しているが、24年たっても処分地は決まっていない。
一方で政府は原発の再稼働を進め、次世代炉への建て替えも進めようとしている。
しかも、最終処分までの途中を担う核燃料サイクルは順調とは言い難い。
六ヶ所再処理工場の完成時期は27回延期。
MOX燃料工場は8回延期。
高速増殖原型炉「もんじゅ」は廃炉。
使用済み燃料は原発などにたまり続けている。
入口は再び広げる。だが出口は、まだ完成していない。
では、国内で決まらないなら外国へ持っていけばいいのか。
それも難しい。
では、宇宙へ捨てればいいのか。
実はNASAは1970年代に本気で研究した。太陽系の外へ放り出す案まで検討した。
しかし結局、答えは驚くほど地味なところへ戻ってくる。
自分たちの国の地下深くに埋めるしかない。
問題は、誰がその場所を引き受けるのかである。
常陸大宮市の公式発表によると、市には地元経済界有志から、国策への貢献と地域の持続的発展の両立という観点で文献調査を求める要望書も出ていた。鈴木定幸市長は申し入れを「重く受け止める」としたうえで、まず文献調査で地下環境の適性について情報を得ることが議論の第一歩になるとの考えを示した。
まだ最終処分場の受け入れを決めたわけではない。
ただ、このニュースを入口に核燃料サイクル、海外の最終処分、そして山口県上関町の中間貯蔵施設まで追うと、日本の原子力政策が抱えるもう一つの問題が見えてくる。
電力の恩恵は全国で受けるのに、その後始末の負担はどこが背負うのか。
- 「核燃料サイクル」は、何を回す仕組みなのか
- 1997年完成予定だった工場は、2026年も完成していない
- 回らないから、使用済み燃料がたまる
- 上関の中間貯蔵施設は「地域振興策」から始まった
- 人口1893人、5年間で19.2%減った町
- 原発マネーは、本当に地域を自立させたのか
- 「地方が引き受ける」のか、「引き受けざるを得ない」のか
- しかも再処理しても、核のごみは消えない
- では海外に捨てればいいのか
- 「宇宙に捨てる」はNASAも本気で研究した
- 海外はもう「どこに埋めるか」の次へ進んでいる
- 文献調査だけで最大20億円
- それでも日本は原発の入口を広げようとしている
- 「トイレなきマンション」は正確ではない。それでも古びていない
- 常陸大宮への正式申し入れが突きつけるもの
「核燃料サイクル」は、何を回す仕組みなのか
日本政府が掲げる核燃料サイクルは、使い終わった核燃料をそのまま捨てず、再利用する仕組みである。
原発で使い終えた燃料には、まだウランやプルトニウムが残っている。
そこで使用済み燃料を再処理工場へ運び、ウランとプルトニウムを取り出す。その一部をMOX燃料に加工し、再び原発で使う。
資源の乏しい日本にとって、燃料を有効利用できる。さらに再処理によって、最終処分する高レベル放射性廃棄物の体積や有害度を減らせるというのが政府の説明である。
理屈の上では「サイクル」になっている。
問題は、現実の設備がその絵の通りには動いていないことだ。

六ヶ所再処理工場は1993年着工、当初1997年完成予定だったが、現在の目標は2026年度中。MOX燃料工場も2027年度中へ延期された。最終処分地探しは2002年に始まったが、2026年も文献調査の段階にある。出所:経済産業省、資源エネルギー庁、日本原燃、NUMO
1997年完成予定だった工場は、2026年も完成していない
核燃料サイクルの中核が、青森県六ヶ所村の再処理工場である。
1993年に着工した。当初の完成予定は1997年だった。
現在の竣工目標は2026年度中。
完成時期の見直しは27回に達した。
その次の工程を担うMOX燃料工場も完成していない。
2010年に着工し、完成予定は8回延期。現在の目標は2027年度中である。
かつてサイクルの先には、さらに壮大な計画があった。
再処理で取り出したプルトニウムを高速増殖炉で使い、消費した以上の燃料を生み出す。
その象徴だった高速増殖原型炉「もんじゅ」は、1995年のナトリウム漏れ事故後、長期停止とトラブルを繰り返し、2016年に廃炉が決まった。
政府は現在も高速炉研究そのものをやめてはいない。
しかし、かつて描かれた「高速増殖炉まで含む核燃料サイクル」がそのまま実現しなかったことは動かない。
回らないから、使用済み燃料がたまる
再処理工場が動かなければ、使用済み燃料は原発から出ていかない。
2023年時点で日本には約1.9万トンの使用済み燃料があり、全国の管理容量約2.4万トンに対して約8割まで達していた。
そこで必要になるのが「中間貯蔵施設」である。
再処理工場へ運ぶまで、原発の外で一時的に保管する。
名前だけを見れば、あくまで「中間」だ。
ところが六ヶ所が動かなければ、その先が見えない。
2026年春には、青森県がむつ市の中間貯蔵施設への新たな使用済み燃料搬入について、搬出先となる六ヶ所再処理工場の見通しを理由に実施環境を確認できないとの立場を示した。
再処理できないから中間貯蔵する。
しかし、その中間貯蔵からどこへ出すのかが見えないため、中間貯蔵まで滞る。
「サイクル」というより、渋滞に近い。
上関の中間貯蔵施設は「地域振興策」から始まった
この問題を、地方の側から見ると景色が変わる。
山口県上関町では長年、中国電力の上関原発計画が進められてきた。
しかし東日本大震災後、建設準備工事は止まり、計画は長期停滞した。
2023年2月、上関町長は中国電力に対し、地域振興策の検討を要請した。
中国電力がその回答の一つとして示したのが、使用済み核燃料の中間貯蔵施設だった。
中国電力自身が、町長から地域振興策の要請を受け、その後に中間貯蔵施設の検討を始めたと説明している。
2025年8月には立地可能性調査が終わり、中国電力は「技術的に対応できない問題はなく、立地可能」と判断した。
ただし、施設の建設そのものが決まったわけではない。
人口1893人、5年間で19.2%減った町
なぜ上関町は、新たな地域振興策を中国電力に求めたのか。
数字を見ると事情は重い。
2025年国勢調査の山口県速報では、上関町の人口は1893人。
2020年から5年間で449人減り、減少率は19.2%。山口県内で最も大きかった。
原発立地地域の議論を「地方が原発マネーを欲しがっている」で片づけるのは簡単だ。
だが、人口が減り、産業が細り、税収が伸びない一方で、学校、医療、福祉、道路、公共交通は維持しなければならない。
座して衰退を待つわけにもいかない。
その自治体にとって、原子力関連施設はエネルギー政策であると同時に、地域を維持する財政政策になる。
原発マネーは、本当に地域を自立させたのか
上関はすでに原発関連のお金を長く受け取ってきた。
政府の国会答弁によると、1984年度から2000年度までに、山口県、上関町、柳井市へ交付された上関原発計画関連の電源立地等初期対策交付金は総額約34億6800万円。
その中には医療施設整備約8700万円、社会福祉施設整備約7億5700万円などが含まれていた。
これらが無意味だったわけではない。
医療や福祉など、地域住民の暮らしを実際に支えた。
問題は、一度そうした財源が地域の行政サービスや将来計画に組み込まれると、簡単に抜けられなくなることだ。
原子力関連施設を受け入れる。
交付金や税収が入る。
公共施設やサービスが充実する。
しかし、それだけで民間産業が育ち、人口減少が止まり、自前の税収が増えるとは限らない。
時間がたてば、再び新しい財源が必要になる。
原発マネーを「麻薬」と呼ぶのは刺激が強すぎる。
だが、地域を一時的に潤しながら、その財源なしでは行政運営が難しくなっていくという意味で、強い依存性を持つ仕組みであることは否定しにくい。
「地方が引き受ける」のか、「引き受けざるを得ない」のか
ここに、日本の原子力政策のもう一つの問題がある。
原発でつくられた電気は、広い地域で使われる。
大都市も工場もデータセンターも、その恩恵を受ける。
しかし発電所、使用済み燃料、中間貯蔵、最終処分という負担は、特定地域に集中する。
利益は広く分散する。
負担は狭い地域へ集中する。
しかも、その受け入れ候補になりやすい地域の側には、人口減少や財政難という別の問題がある。
国家が抱える核の後始末と、地方が抱える生き残りの問題が、同じ場所で結びつく。
常陸大宮市への今回の正式申し入れでも、市は地元経済界から「国策への貢献」と「地域の持続的発展」の両面を理由に文献調査を求める要望が出ていたことを明らかにしている。
ここを「過疎地が金で釣られている」とだけ見ると、本質を外す。
むしろ問うべきなのは、なぜ国全体で享受する電力の便益に対し、その後始末の負担を受け入れる地域が、人口減少や財政不安と向き合う自治体になりやすいのか、ということだ。
しかも再処理しても、核のごみは消えない
核燃料サイクルが完全に動いたとしても、最終処分場は不要にならない。
再処理で発生した高レベル放射性廃液は、ガラスと混ぜて「ガラス固化体」にする。
それを30~50年程度冷却した後、地下300メートル以上の深い地層へ処分する。
2025年3月末時点で、国内にはすでに2530本のガラス固化体が保管されている。
同時点までに日本の原発で生じた使用済み燃料をすべて再処理し、ガラス固化体に換算すると、約2万7000本に相当する。
再処理は「核のごみを消す技術」ではない。
量や性質を変えることはできる。
しかし最後に地下へ隔離しなければならない廃棄物は残る。
では海外に捨てればいいのか
日本国内で決められないなら、外国に引き取ってもらえばいい。
これも現行制度では簡単にはできない。
経済産業省は、放射性廃棄物について原則として輸出できないと明記している。
例外は、有用資源として安全に再利用されるなど、一定の要件を満たす場合に限られる。
実は日本は過去に、使用済み燃料をフランスや英国へ送り、再処理を委託してきた。
しかし、そこで発生した高レベル放射性廃棄物はどうなったのか。
日本へ返ってきた。
海外で再処理してもらえても、最後のごみまで外国へ押しつける仕組みにはなっていない。
「宇宙に捨てる」はNASAも本気で研究した
では地球の外へ出せばいい。
この発想は冗談ではない。
1970年代、NASAは放射性廃棄物を宇宙へ運ぶ可能性を研究していた。
地球の高い軌道だけでなく、太陽周回軌道や太陽系外への放出まで検討された。
しかし問題はロケットである。
打ち上げは100%成功しない。
事故が起きれば、地下深くへ封じ込めるはずだった放射性物質を、わざわざ地表付近で散乱させるリスクがある。
さらに費用も莫大で、大量の打ち上げが必要になる。
米エネルギー省も、費用や打ち上げ能力、宇宙環境、安全性などから宇宙処分は現実的ではないと説明している。
半世紀前に宇宙まで検討した末、結局、地下処分へ戻ってきた。
海外はもう「どこに埋めるか」の次へ進んでいる
地層処分そのものが技術的に不可能だから、日本が止まっているわけではない。
フィンランドでは2026年8月、オルキルオのONKALOで、実際の最終処分に使う最初の処分孔の掘削が地下400メートル超で始まった。
スウェーデンでもフォルスマルクで2025年1月、使用済み燃料最終処分場の建設が始まった。
カナダは2024年、北西オンタリオのRevell地区を将来の地層処分場として選定した。
カナダの制度で特徴的なのは、技術的な適性だけでなく、自治体と先住民コミュニティーが「情報を得た上で受け入れる意思がある」ことを重視してきた点である。
| 国 | 現在の段階 | ポイント |
|---|---|---|
| フィンランド | 実処分用の処分孔を掘削 | ONKALO、地下400m超 |
| スウェーデン | 建設段階 | フォルスマルクで2025年着工 |
| カナダ | 候補地選定済み | 受け入れ意思を持つ自治体・先住民社会を重視 |
| 日本 | 文献調査 | 2002年から候補地探し、処分地は未決定 |
もちろん海外もすべて順調ではない。
米国ではユッカマウンテン計画が政治的に止まり、商業用使用済み燃料の最終処分場はまだない。
それでもフィンランドとスウェーデンは、すでに「どこに埋めるか」から「どう造るか」へ進んだ。
日本で止まっている核心は、地層処分という技術の有無だけではない。誰が受け入れるのかという政治と社会的合意である。
文献調査だけで最大20億円
日本の制度にも、この難しさが表れている。
文献調査は約2年の机上調査で、地域には最大20億円の電源立地地域対策交付金が出る。
その次の概要調査は約4年で最大70億円。
さらに精密調査は約14年を想定する。
そして国は、都道府県知事または市町村長の意見に反して次の段階へ進まないとしている。
つまり、文献調査を受け入れたからといって、最終処分場を受け入れる義務はない。
ここから「自治体は交付金目当てだ」と決めつけるのは乱暴である。
調査を受けるだけでも、地域内対立、風評、行政負担が生じる。
一方で、最大20億円という地域振興策が、人口減少や財政難に直面する自治体にとって大きな意味を持つことも否定できない。
「文献調査地域を増やすこと」と「最終処分場を決めること」は同じではない。
それでも日本は原発の入口を広げようとしている
ここまでなら、「出口を探すのに時間がかかっている」で終わる。
問題は、日本が同時に入口を再び拡大しようとしていることだ。
第7次エネルギー基本計画では、電力需要増加を背景に、再生可能エネルギーと原子力をともに最大限活用する方針を掲げた。
既存原発の再稼働だけでなく、廃炉を決めた原発を持つ事業者について次世代革新炉への建て替えを具体化していく。
国もバックエンド問題が重要だと分かっている。
それでも、その中核である六ヶ所再処理工場は27回延期されている。
「トイレなきマンション」は正確ではない。それでも古びていない
原発は長年、「トイレなきマンション」と批判されてきた。
厳密には正確ではない。
使用済み燃料は管理されている。
再処理技術もある。
地層処分という最終処分技術もある。
だからトイレそのものが存在しないわけではない。
現在の日本を表すなら、むしろこうではないか。
トイレを造る技術はある。だが、どこに造るか決まらない。配管の途中も完成していない。それなのに部屋を増やそうとしている。
再処理工場は27回延期。
MOX燃料工場は8回延期。
中間貯蔵施設は、その先が見えなければ詰まる。
最終処分場は24年探して、まだ文献調査。
海外には原則として出せない。
宇宙にも捨てられない。
最後は、日本のどこかが引き受けるしかない。
常陸大宮への正式申し入れが突きつけるもの
市長は、調査もしていない段階で最終処分そのものの是非を判断することはできないとし、まず文献調査で情報を得ることが議論の第一歩になるとの考えを示した。
その姿勢自体は合理的である。
誰にも話を持ちかけなければ、最終処分場は永遠に決まらない。
だが、この一歩だけを見て「バックエンドが前進した」と楽観することもできない。
日本は2002年から候補地を探している。
2026年になっても、最終処分場そのものは決まっていない。
その一方、上関では人口1900人を割った町が、新たな地域振興策として中間貯蔵施設の検討に向かった。
常陸大宮でも、地元経済界から「国策への貢献」と同時に「地域の持続的発展」を理由とした要望が出た。
原子力施設を受け入れる地域の側には、常に原子力政策とは別の現実がある。
人口が減る。
産業が衰える。
税収が細る。
それでも地域を残さなければならない。
日本は大量の電力を使う。
その便益は全国で受ける。
しかし、最後の後始末を引き受ける場所は、一部の地域にしか置けない。
核のごみ問題の最後に残るのは、放射線の半減期だけではない。
「誰がその負担を引き受けるのか」という、何十年経っても減衰しない政治の問題である。

