15.4兆円でも円は160円 「市場の信認」は介入では買えない

政府が円を買った。

市場は、また円を売った。

2026年8月28日、財務省は7月30日から8月26日までの外国為替市場への介入額を公表した。15兆3993億円。1カ月弱の円買い介入として過去最大の規模である。

しかも今年春には、4月30日、5月4日、5月6日の3日間で合計11兆7349億円を投入している。春以降だけで、円を支えるために動かした資金は少なくとも27兆円を超えた。

7月末には米国まで異例の円買いに加わった。なぜ米国が日本円の買い支えに参加したのかは前稿で検証した。1ドル=163.99円付近まで売られた円は、一時155円台まで急反発した。

確かに介入は効いた。

その後、ベッセント米財務長官は円買い介入だけでなく、日本に「リフレ政策」の終了を促すまで踏み込んだ。日銀の金融政策と高市政権の積極財政をどこまで一体として見ているのかは、「ベッセントは『高市財政』を問題視しているのか 円安・金利3%と“脱リフレ”要求」で検証した。

その介入の「裏側」を示す8月末のデータも出た。外貨準備全体が795.75億ドル減る一方、内訳の証券は877.73億ドル減少した。詳しくは「円を守るために米国債を売ったのか 15.4兆円介入の裏で外貨証券878億ドル減」で検証している。

その後、円は153円台まで反発し、ベッセント米財務長官は円売り筋に「私は胴元だ」とまで言い切った。だが彼自身、1992年にはソロス陣営で英国政府のポンド防衛を破った側でもある。政府の介入が市場に勝つ条件は何なのか、1992年と現在の円を比較して検証した。

だが8月28日、ドル円は再び160円台に戻った。

15兆円を超える介入を行い、米国にも円を買ってもらい、それでも1カ月後には160円である。

これは「介入は全部無駄だった」という話ではない。介入には、投機的な急変を止め、相場を落ち着かせ、政策対応の時間を買う役割がある。

問題は別にある。

政府は円を買うことはできても、民間が円を売りたい理由まで消すことはできなかった。

図1 史上最大規模の円買い介入後、ドル円は再び160円台へ
7月末に163.99円付近まで進んだ円安は、介入で一時155.23円まで反転した。しかし約1カ月後には再び160円台へ戻った。出所:TradingView(OANDA)

ドルだけではない 円そのものが歴史的に弱い

円安を論じると、「米国の金利が高いのだからドルが強いだけだ」という説明が出てくる。

これは重要な要因である。日米金利差は依然として大きく、8月28日はウォーシュFRB議長の発言を受けて米金利とドルが上昇した。ドル円160円のすべてを日本の財政政策で説明するのは間違いだ。

しかし、それで話を終えることもできない。

BISが作成しFREDで公表される日本の「名目実効為替レート」は、ドルだけでなく主要な貿易相手国の通貨をまとめ、円の総合的な強さを測る指数である。

2020年を100とすると、2026年7月は67.57。FREDで確認できる1994年以降の系列で最低水準である。

つまり、これは単なるドル高ではない。円が幅広い通貨に対して安くなっている。

図2 円の総合的な価値は1994年以降で最低水準
日本の主要貿易相手国通貨に対する名目実効為替レート。2020年=100。2026年7月は67.57。出所:BIS via FRED

国債市場でも同時に価格調整が起きている

もう一つ無視できないのが日本国債である。

10年国債利回りは2026年8月に一時2.95%前後まで上昇し、1990年代半ば以来の高水準に達した。

もちろん、これも「高市政権の財政政策だけ」が原因ではない。インフレ、日銀の金融正常化、海外金利、原油価格、国債需給など複数の要因が重なっている。

一方でReutersは、足元の金利上昇要因としてインフレや日銀の利上げ観測と並び、財政への懸念を挙げている。

弱いGDPと長期金利上昇が同時に起きる背景は、「長期金利の急騰 国債市場は何を警戒しているのか」でも検証した。

図3 日本の10年国債利回りは3%目前まで上昇
2020年代前半のゼロ近辺から上昇を続け、2026年には一時2.95%前後へ。背景は金融正常化、インフレ、海外金利、国債需給、財政懸念など複合的である。出所:TradingView

高市首相は、むしろ「市場の信認」をかなり気にしている

ここで高市政権について、一つ整理しておきたい。

「高市首相は市場など気にしていない」と批判するのは正確ではない。

総理就任後の発言を追うと、むしろ逆である。

高市首相は「マーケットからの信認」「財政の持続可能性」「市場とのコミュニケーション」という言葉を繰り返している。

2月の施政方針では、市場の信認を損なうような野放図な財政政策は取らないと明言した。7月21日には、債務残高対GDP比の安定的低下を財政運営目標の中核とし、市場の信認確保に配意すると説明している。

7月30日の経済財政諮問会議では、令和9年度予算の概算要求について「もはや『シーリング』と呼ぶべきものはありません」と述べた直後に、財政の持続可能性と市場の信認確保を改めて強調した。

これはかなり象徴的である。

問題は、高市首相が市場を気にしているかどうかではない。市場に説明している政策と、市場が実際に見せられている政策をどう評価しているかである。

市場が見ているのは「市場を大事にします」という言葉ではない

市場側から高市政権を眺めると、警戒される材料があるのも事実だ。

高市氏は2024年の自民党総裁選で、日銀の利上げについて「金利を今、上げるのはあほやと思う」と発言した。首相就任後は日銀の独立性を尊重する姿勢へ修正し、2026年6月の1%への利上げにもかつてのような露骨な反対はしていない。

この変化はきちんと評価すべきである。

しかし同時に、高市政権はアベノミクスの継承を掲げ、「責任ある積極財政」を政権の本丸に据えた。

危機管理投資と成長投資を通常歳出とは別枠で扱い、投資枠には概算要求段階の上限を設けない。飲食料品の消費税率は2027年4月から2年間、1%へ大幅に引き下げる方針だ。安全保障政策のさらなる抜本強化も掲げる。

既存の防衛力整備には税制や歳出改革による財源措置があるため、「防衛費には全く財源がない」と書くのは正確ではない。ただし、今後さらに上積みする強化策について、規模と恒久財源がどうなるかは市場が見るポイントになる。

骨太方針の原案では政府と日銀の政策協調を強く意識させる文言が円と国債の売りを招き、最終版には金融政策の具体的手段は日銀に委ねることを確認する文言が追加された。

経済政策を支える人選も市場の記憶に残る。

「リフレ派ばかり」という表現は言い過ぎだ。実際の会議には企業経営者や労働界、他分野の専門家もいる。

それでも、若田部昌澄氏が経済財政諮問会議の民間議員に入り、会田卓司氏と片岡剛士氏が日本成長戦略会議の有識者委員を務め、本田悦朗氏が主要な経済顧問として政権を支えている。政策中枢にアベノミクスやリフレ政策に近い論者が複数いることは事実である。

高市氏の経済思想がどこから来たのかは、「高市早苗はなぜリフレ派なのか アベノミクスは今も通用するか」で詳しく整理した。

ダリオは日本を「高債務でも大丈夫だった成功例」と見ていない

海外の著名投資家は、日本をどう見ているのか。

レイ・ダリオは8月21日、自身の論考で日本を明確に取り上げた。

日本は「政府債務が大きくても危機にならなかった国」の代表例として使われることが多い。しかしダリオの評価は正反対である。

ダリオは、日本の高い政府債務を低金利で支えるために日銀が大量の国債を買い、その過程で債券保有者が通貨価値の低下を含む大きな相対損失を負ったと論じる。

彼の最新計算では、2013年以降の日本国債保有は米ドル建て債券との比較で51%、金との比較で76%劣後したという。また一般的な日本人労働者の賃金も、共通通貨で米国と比較すると55%低下したとしている。

これらはあくまでダリオ独自の比較方法による相対パフォーマンスであり、「日本国債の円建て元本が51%消えた」という意味ではない。

だが彼の論点は明確だ。

国はデフォルトしなくても、通貨の購買力低下という形で調整できる。

これは「自国通貨建てなら安全なのか 日本が払い始めた代償」で検証した問題と同じである。

ダブルラインは「トラス型」を警告、ロジャーズは通貨安そのものを問題視

ジェフリー・ガンドラック率いるダブルラインでは、グローバル・ソブリン債部門のビル・キャンベル氏が7月17日に「Honebuto Shock: Japan Courts a Truss-Like Redux」と題するレポートを公表した。

2022年の英国では、リズ・トラス政権の財源裏付けが弱い大型減税をきっかけに英国債とポンドが同時に売られた。

キャンベル氏は日本と英国を単純に同一視してはいないが、高市政権の財政拡張と、金融政策を成長戦略に協調させるように見えた姿勢が、債権者の警戒を強めると論じた。

ジム・ロジャーズ氏も2026年、日本の巨大債務と円安に警告を発し、自国通貨を下げることを繁栄と取り違えるべきではないという趣旨の批判を繰り返している。

なお、著名投資家が全員同じ見方をしているわけではない。ポール・チューダー・ジョーンズ氏は円を大幅に割安とみて、反発余地を指摘している。

しかし「円が割安だから上がる可能性がある」という投資判断と、「日本の財政運営には何の問題もない」という評価は別物である。

「CDSが低いから財政不安はない」は、測っているものが違う

一部のリフレ派は、日本国債のCDSが低いことを根拠に、「財政不安で円や国債が売られているという説明はおかしい」と主張する。

しかし、この議論ではCDSが何を測っているのかを分けなければならない。

CDSはCredit Default Swap。簡単に言えば、政府や企業が借金を約束通り返せなくなった場合に備える保険に近い金融商品である。

ISDAの標準的なソブリンCDSでは、元利金の不払い、債務の拒絶・支払停止、債務再編などが信用事由になる。

例えば100万円の日本国債を買い、満期に政府が100万円を返したとする。

その間に円が大幅に下落しても、政府は約束した100万円を返している。海外投資家がドル換算で大損していても、通常それだけでCDSが発動するわけではない。

日本人にとっても同じだ。物価が上がり、100万円の購買力が低下しても、政府が100万円を返せば名目的なデフォルトではない。

したがって、日本のCDSが低いことから言えるのは、主として「日本政府が近い将来、国債の名目的な支払いを止めるリスクを市場が低く見ている」ということである。

その後、10年国債利回りは実際に3%へ到達した。長期金利上昇を単純に「成長期待」と読むことができるのか、高市政権に対する債券市場の評価まで含め、「日本10年金利3% 4%、5%で何が起きるのか 債券自警団が高市政権に突きつける警告」で検証した。

そこから「円の価値への不安もない」「長期金利に財政プレミアムもない」まで導くことはできない。

火災保険料が安いから、その家の価格は絶対に下がらないと言うようなものだ。保険が測るリスクと、資産価格を決めるリスクは同じではない。

「100円で買った米国債を160円で利確しただけ」も違う

為替介入をめぐっては、もう一つ分かりやすい説明が広がっている。

「昔1ドル100円程度の時に買った米国債を、160円で売った。だから政府は大儲けしただけだ」

「その利益を減税や経済対策に使えばいい」

しかし、財務省の会計処理はそんな単純な株取引のようにはなっていない。

まず今回の15兆3993億円は利益額ではない。外貨を売り、円を買った介入の取引額である。

そして円買い介入で得た円貨は、政府短期証券の償還に充てるのが制度上の基本である。

さらに2026年5月26日の参議院財政金融委員会で、片山さつき財務相は決定的な説明をしている。

外為特会の売却益は、過去に円売り介入をした時の為替レートとの差で計算するのではない。前々月の実勢レートを基にした評価額を上回る部分が売却益として計上される仕組みだという。

つまり、「100円で買ったドルを160円で売ったから60円の利益」という説明を、財務大臣自身が国会で否定している。

外貨準備も、一昔前に買った同じ米国債を何十年も金庫に入れているわけではない。満期や運用に応じて資産は入れ替わる。米国金利の上昇局面では、個々の債券価格がドル建てで下落している場合もある。

円換算の評価益と、米国債そのものの値上がり益を混同してはいけない。

外為特会の利益を政策に使える――ただし「介入したから新財源が生まれた」ではない

ここは逆方向の誤解にも注意が必要だ。

「外為特会の利益は政策財源には一切使えない」というのも正しくない。

外為特会は毎年度決算を行い、運用収入や売買差益などから生じた剰余金の一部を一般会計へ繰り入れている。

2024年度決算では約5.36兆円の剰余金が生じ、そのうち約3.20兆円が一般会計へ繰り入れられた。

だから「外為特会の利益を政策に使えるか」と聞かれれば、答えは使われているである。

しかし、それと「今回15.4兆円介入したから15.4兆円の新財源ができた」は全く別の話だ。

介入で得た円貨そのものは政府短期証券の償還に回る。最終的に外為特会全体の決算で剰余金が出れば、リスクへの備えを残した上で一部が一般会計へ移る。

しかも為替や金利で毎年変わる利益を、恒久減税の恒久財源とみなすなら別の問題が生じる。

円高になれば評価は逆方向へ動く。外貨資産を減らせば、将来の円買い介入に使える弾も減る。

何より皮肉なのは、円安で政府の外貨資産の円換算額が膨らんだことを「日本が儲かった」とだけ評価することである。

政府が持つ1ドルの円換算額が100円から160円に増えた同じ理由で、国民は1ドルの商品に100円ではなく160円払うことになる。

外為特会の「ホクホク」は、国民の海外購買力低下の裏側でもある。

「成長すれば税収が増える」は、20年前にも聞いた

高市政権の財政論には一貫したロジックがある。

政府が危機管理投資と成長投資を行い、民間投資を誘発する。供給力が高まり、雇用と所得が増え、消費と企業収益が増え、税率を上げなくても税収が自然増する。

高市首相は2040年度に国内民間設備投資250兆円、GDP約1100兆円を目指し、実質成長率1%超、名目3%超を早期に定着させるとしている。

成長すれば税収が増える。GDPの伸びが債務の伸びを上回れば、債務残高対GDP比は下がる。

数学としては正しい。

問題は、将来の成長率が政府の予定表どおりに実現するかである。

この議論は初めてではない。

2000年代半ば、自民党の「上げ潮派」は、成長による自然増収を重視した。中川秀直氏は2006年に『上げ潮の時代 GDP1000兆円計画』を出版し、「増税はかぎりなくゼロに」「名目4%成長」を掲げた。

安倍政権も2015年、2020年頃に名目GDP600兆円という目標を掲げた。

しかし2020年1月の時点で、政府自身の成長実現ケースでも2020年度の名目GDPは約570兆円。600兆円到達の見通しは2023年度へ後ずれしていた。実際に名目GDPが600兆円を超えたのは2024年である。

これは「成長目標を立てるな」という話ではない。

また、過去の目標が遅れたから現在の1100兆円目標も失敗すると決まったわけでもない。

しかし少なくとも、実現していない将来の成長と税収を、現在の支出拡大を安全にする保証のように扱うべきではないという教訓にはなる。

政府がそこまで成長をコントロールできるなら、計画経済が最強になる

高市政権の成長戦略は17の戦略分野を定め、官民投資ロードマップを作り、複数年度で資金を投入し、民間設備投資と生産性を引き上げる設計になっている。

政府が道路、電力網、教育、基礎研究、防衛、経済安全保障などに関与する理由はある。民間だけでは十分に供給されない公共財や、大きな外部効果を持つ分野もある。

だから「政府は何もするな」という話ではない。

しかし、政府が有望産業を正確に選び、必要な投資額を正確に決め、それによって民間投資がどれだけ増え、生産性がどれだけ上がり、GDPと税収がどこまで増えるかまで高い精度で制御できる、という前提には慎重であるべきだ。

もしそれが本当にできるなら、極端に言えば計画経済こそ最強だったはずである。

現実には、半導体の需要もAIの技術革新もエネルギー価格も人口動態も海外景気も、政府の計画どおりには動かない。

企業や家計や投資家が持つ情報は分散しており、市場価格はその情報を集約する役割を持つ。

政府が成長のための環境を整えることと、政府が成長率を「作れる」と考えることは別である。

ここまでが事実。では市場は何を見ているのか

ここからは見立てである。

高市政権が円安の唯一の原因ではない。

米国金利、中東情勢、原油、世界的なドル需要、日銀の利上げペースなど、政府が直接コントロールできない要因は大きい。

一方で、骨太方針の原案に円と国債が反応し、最終版で日銀の独立性を明確にする修正が入った。Reutersのエコノミスト調査では、財源が明確でない減税や投資支出が円安要因として意識されている。ダブルラインは財政と金融政策の組み合わせに警告を発した。

少なくとも市場の一部が、高市政権の「責任ある積極財政」を無条件には信じていないことは確認できる。

ここで「財政は為替と関係ない」「CDSが低いから問題ない」と切り捨てるのは簡単だ。

しかし市場は討論番組には出演しない。

代わりに円と国債に値段を付ける。

消費減税はいくらの恒久負担になるのか。

追加の防衛力強化には何を充てるのか。

シーリングを外した投資枠から、最終的にどれだけ歳出が増えるのか。

日銀がインフレを抑えるため追加利上げを必要としたとき、政府はどこまで受け入れるのか。

そして政府が期待するほど、本当に成長率と税収は上がるのか。

市場が見ているのはこちらである。

結論 介入で買えるのは円、買えないのは信認

15兆3993億円の円買い介入は、円を155円台まで戻した。

介入そのものに意味がなかったわけではない。

だが1カ月後、円は160円台へ戻った。

円の名目実効為替レートは1994年以降の最低水準。10年国債利回りは3%目前である。

高市首相は「市場の信認」を何度も口にするようになった。それは、総理になる前より市場の制約を意識するようになった証拠でもある。

だからこそ、必要なのは「信認を重視している」と説明することではない。

市場が信じられる数字を出すことだ。

成長投資がどれだけの生産性を生むのか。減税と防衛費を何で賄うのか。国債発行をどこまで抑えるのか。インフレが再加速したとき、日銀の引き締めを認めるのか。

それを示さないまま、円が下がれば外貨準備を売り、国債金利が上がれば「財政とは関係ない」と説明しても、問題の根は残る。

為替介入で政府は円を買える。

だが、市場の信認までは買えない。

最後に問われるのは、政府に円を買う金があるかではない。

世界の投資家が、自分の金で円を買いたいと思うかである。

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