金価格が、再び大きく動いている。
8月に入ってから金は、それまで1トロイオンス=4000ドル前後で推移していた水準から約400ドル上昇した。上昇率は約10%。背景には、米国の雇用減速やインフレ鈍化によってFRBの追加利上げ観測が後退したことがある。
一般に金は利息を生まない。金利が上昇すれば、利息を得られる国債などと比べた魅力は低下する。逆に金利低下は金価格の追い風になる。
しかし、近年の金高騰にはそれだけでは説明できない動きがある。
いま金を買っている重要なプレーヤーが、世界の中央銀行だからだ。
World Gold Council(WGC)の最新推計によると、世界の中央銀行などによる2026年4~6月期の金の純購入量は288.9トンだった。
では、なぜ中央銀行は金を買うのか。現在の米国債なら高い金利を得られる。それに対して金は、持っているだけでは利息を生まない。
それでも中央銀行が金を増やしている理由を追うと、世界の準備資産をめぐる静かな変化が見えてくる。
中央銀行の金購入、Q1だけ大きく落ち込む
まず、最近の中央銀行による金購入を見てみよう。

一見すると、かなり奇妙な動きだ。2025年は200トン前後の購入が続いていたのに、2026年1~3月期だけ56.5トンまで急減。その直後の4~6月期には288.9トンまで跳ね上がっている。
ただし、「中央銀行がQ1だけ突然、金を買わなくなった」と理解するのは正確ではない。
WGCは当初、Q1の中央銀行需要を243.7トンと推計していた。その後、新たな市場データを受け、約187トンを中央銀行需要から「OTC・その他」の需要へ再分類した。
つまり、Q1の56.5トンという異例の低さには、中央銀行の実際の売買だけでなく、統計上の大幅な再分類が影響している。
したがって、「Q2に中央銀行の金購入が5倍になった」という数字だけを取り出すのも適切ではない。重要なのは、より長い期間で見た変化だ。

WGCによると、中央銀行は過去4年間に年間平均約1000トンの金を積み増した。それ以前の10年間の平均は年間約500トンだった。
短期の振れをならしてみれば、中央銀行による金購入のペースは従来の約2倍に高まっている。
なぜ「利息のない金」を買うのか
そもそも金は、少し変わった資産だ。
株式なら配当がある。国債なら利息がある。ところが、金そのものは何も生み出さない。
特に現在は米国の長期金利が高い。米国債を持っていれば相応の利回りを得られるのに、金を保有しても利息はゼロだ。
それでも中央銀行が金を買う大きな理由の一つが、金には「発行体」が存在しないことにある。
米国債は世界で最も安全性の高い金融資産の一つだが、あくまで米政府の債務である。銀行預金も銀行の負債だ。しかし金は、誰かの債務ではない。
つまり、相手方の信用リスクを抱えない資産である。
ロシア制裁が変えた「安全資産」の意味
象徴的だったのが、2022年のロシアによるウクライナ侵攻だ。
米国や欧州などは、ロシア中央銀行が海外に保有していた外貨準備の一部を凍結した。
ここで各国の中央銀行が改めて認識したのは、金融的に安全な資産と、政治的に安全な資産は必ずしも同じではないということだった。
米国債の信用力が高くても、海外の金融システムを通じて保有する資産である以上、極端な場合にはアクセスを制限される可能性がある。一方、自国内で保管する現物の金なら事情は違う。
金は米国債の完全な代替物ではない。それでも、「政治リスクまで含めた保険」としての価値は高まっている。
45%の中央銀行が「自分たちも金を増やす」
WGCが2026年に76の中央銀行を対象に実施した調査では、89%が「世界の中央銀行の金保有は今後12カ月で増える」と回答した。
さらに、45%が自らの中央銀行の金保有も増やすと回答。調査開始以来の最高水準だった。

もう一つ興味深いのがドルについての回答だ。74%が、今後5年間で世界の準備資産に占めるドルの割合は低下すると予想した。
公的準備資産では金が米国債を上回った
準備資産全体に占める金の存在感も大きくなっている。

ECBによると、2025年末時点で金は世界の中央銀行の準備資産の27%を占め、米国債の22%を上回った。金が米国債を上回るのは1996年以来だ。
ただし、この数字をそのまま「中央銀行が米国債を売り、金へ乗り換えた証拠」とみるのは危険だ。
中央銀行は米国債を売っているのか
ニューヨーク連銀が外国中央銀行などのために保管する米国債の残高は低下している。
一見すると、「米国債を売る → 金を買う」という巨大な資金移動が始まっているようにも見える。
しかし、実際にはそこまで単純ではない。ニューヨーク連銀のカストディー統計だけでは、世界の中央銀行による米国債売買の全体像を把握できない。
したがって、「世界が米国債を捨てている」とは言えない。より正確なのは、米国債への巨大な需要は残っている一方、中央銀行が準備資産をドルや米国債だけに集中させず、金を組み合わせる動きが強まっているということだろう。
では「脱ドル」は始まっているのか
ここで、さらに重要なデータがある。
IMFによると、世界の外貨準備に占める米ドルの比率は2025年末の56.42%から、2026年1~3月期には57.13%へ上昇した。

少なくとも直近の統計から、「世界で急速な脱ドルが起きている」とは言えない。むしろドル比率は上昇した。
IMFによると、2025年に金が米国債を上回る比率の公的準備資産となった動きは、ほぼ全面的に金価格上昇による評価額の増加で説明できる。
つまり、中央銀行が米国債を大量に売却して金へ乗り換えた結果ではない。この区別は非常に重要だ。
金価格上昇そのものが金の存在感を高める
金価格が上昇すると、中央銀行がすでに保有している金の評価額が増える。その結果、準備資産全体に占める金の割合も上昇する。
さらに「中央銀行の準備資産で金の存在感が高まっている」という事実そのものが、投資家の金需要を刺激する可能性がある。
中央銀行が金市場に与える影響は、購入額だけではない。「世界の中央銀行が金を買っている」という事実そのものが、金という資産への信認を高めている可能性がある。
「脱ドル」ではなく「ドルだけではない」
ここまでのデータから見えてくるのは、ドル覇権の突然の終わりではない。
ドルは依然として世界最大の準備通貨であり、米国債市場ほど巨大で流動性の高い債券市場も、ほかにはない。
だから「中央銀行が米国債を捨て、金へ逃げ始めた」と結論づけるのは行き過ぎだ。
しかし同時に、地政学リスク、経済制裁、米国の財政赤字、インフレなどを考えれば、準備資産をドルだけに集中させる合理性は以前より低下している。
そこで選ばれている資産の一つが金だ。
金には利息がない。しかし発行体もない。
中央銀行が買っているのは、高い利回りではない。
金融システムや地政学的な分断に対する「保険」なのかもしれない。
「脱ドル」が始まった、と言うのはまだ早い。
むしろ今起きているのは、「ドルを持たない」ではなく、「ドルだけを持たない」という変化なのではないだろうか。
そして、この話にはもう一つ重要な続きがある。
米国ではいま、インフレ圧力が和らいでも超長期国債の金利が高止まりしている。
次回は、米30年国債の金利がなぜ5%を超えているのかから、この問題を考える。

